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1940年代。戦火をくぐったジーンズの運命的変化。


ジーンズに思いを馳せるなかで、その時々の歴史や世界の変容が欠かせないというお話を前回させて頂きました。

歴史が動くとき、産業が動き、様々なものが変化していきます。

今回はその中でも非常に大きな変化があった1940年代をジーンズの最も有名なメーカーの変化をピックアップしてお話をしていきます。

1940年代の大きな出来事といえば、世界中を巻き込んだ第二次世界大戦。

1939年に開戦したこの戦争の影響をアメリカも受けることになります。1941年、真珠湾攻撃により、本格的に戦争に参入したアメリカ国内は慢性的な物資不足に陥ります。ジーンズもその余波を受け、OPA(物資統制局)から簡素化を迫られます。

まずその煽りを受けたのは生地、「耐久性」の基盤となるデニムの重量です。それまでの11オンスのデニムから重量(オンス)の引き下げを迫られました。

しかし、ワークウェアである以上「耐久性」の低下は譲りませんでした。その結果、逆に生地の重量は11オンスから13.5オンスまで上がったという逸話があります。

この生地の変化が、今日のジーンズのデニム生地の元となる重量(オンス)を作り上げたのです。

ちなみに、この時生まれた13.5オンスのデニム生地は、マニアの間で「大戦デニム」と呼ばれ、非常に特徴的な生地です。その説明はまた別の機会に。

しかし、物資統制の波に逆らえずに廃止された物もたくさんあります。

大きく変わったのは

シンチバックの廃止。

クロッチリベット(股リベット)の廃止。

ウォッチポケットのリベットの省略。

バックポケットのカン止めの省略。

汎用ボタン(月桂樹ボタン、ドーナツボタン)の使用。

など。

また、戦争という時代背景は生産や需要も変えていきます。

戦火の拡大は軍需産業の拡大に繋がり、多くの労働者の雇用を生みました。それまで生産業に携わることが少なかった女性が工場で働き始めたのもこの頃です。

労働者はより質のよい作業服を求め、ジーンズを手に入れようとします。

結果、販売本数が増え、生産をアップさせることになります。

そして、生産するジーンズ工場側では軍用衣料に縫製の上手い職人たちを取られていきます。経験の浅い縫製職人が縫うと荒くなりますが、需要に追いつくためには品質管理に目をつむらなければならないことがあったのかもしれません。

こうした背景から戦前戦後では見られない個体差のあるジーンズが沢山生み出されます。

これが後世の人々を魅了することになるのです。

1945年の終戦まで大戦モデルといわれるこれらのジーンズが作られます。

終戦直後から物資統制は解かれ、リベットなどの簡素化されていたディテールが戻ります。

この時、戻らなかったのがシンチバックとクロッチリベット(股リベット)。人々の生活やはき方の変化から消えてしまったディテールです。

翌1946年は過渡期と呼ばれる年。ディテールの簡素化は解かれましたが、工場には戦時中の生地や部材がまだまだ残っております。それらを使い切り新しいものにドンドン切り替わっていったのです。生地は戦中より整った新しい生地に。ボタンやリベットも変化していきます。

そして、1947年に近代ジーンズの完成型と言われる形が出来上がります。

ここがジーンズの世界的な流行の第一歩です。

1940年代のジーンズの変容を掘り下げて、お話させて頂きましたがこれが全てではありません。未だ、明確に分からないことも沢山あります。

しかし、その謎が私たちの心を引きつけ、70年が過ぎた現代でも当時のジーンズを求める人が後を絶たないのだと思います。

当時の世の中を考え、当時の人々の生活に思いを馳せ、どのような人たちが作り、どのような人たちが履いたか想像を膨らます。そこには浪漫があります。

浪漫を感じるジーンズ。

折角はくのだからそんなジーンズが履きたいですよね。


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